サッカー元日本代表で3月27日生まれの内田篤人さんは、日本サッカー協会が早生まれを対象に実施した選考会で見い出され、プロ選手の座を勝ち取りました。内田さんは「早生まれを気にせず、スキルを身につけて」と子どもたちにエールを送ります。
日本サッカー協会の早生まれセレクションが契機に
早生まれでなかったら、プロサッカー選手にはなれなかったと思います。今ごろは学校の先生をしていたんじゃないかな。
転機は、静岡県立清水東高校1年生の時でした。日本サッカー協会が企画した、早生まれの高校1年生が対象の「U16(16歳以下)」日本代表候補の選考会に参加したんです。同学年のなかで埋もれがちな早生まれに焦点を当て、原石を探そうという試みです。これで、それまでハンデだと思っていた早生まれがチャンスになりました。
海外の選手はよく、「サッカー選手になりたい」ではなく、「サッカー選手に選ばれたい」と言うんです。能力を持っているだけでなく、誰かに見つけられ選ばれないとプロにはなれない。そうした意味では、僕は早生まれだったから、選ばれた。あの年に早生まれ選考があったのは、本当にラッキーでした。
といっても、それは振り返って感じることで、当時の僕は監督に「行ってこい」と言われ、「はい、分かりました」という感じで出かけただけでした。そこで足の速さなどを評価され、日本代表の候補に選ばれました。それまで日本代表どころか、県代表にすら選ばれたことがないのに。その後、いくつかのプロチームからオファーが来るようになり、高校卒業時に鹿島アントラーズへの「就職」を決めました。清水東は進学校だったので、「就職」は自分だけ。センター試験を受けなかったのも僕一人だけでしたね。
僕が生まれる時、父は母に「(産むのは)4月まで待て」と言っていた、と笑い話でよく聞きました。父は中学校の体育教師だったので、特にスポーツをする上で早生まれがハンデになると知っていたのでしょう。僕に向かって何か言うことはありませんでしたが、両親は両親で気にしていたのかもしれません。
小中学生のころにはスキルを身につけて
僕自身は幼いころから、早生まれであることをそれほど意識しませんでした。けれど、小学校のころは、背の順に並ぶと最前列で腰に手をあてているか、前から2番目。妻は小学校時代の同級生なのですが、当時はその妻を見上げていました。小学1年生の時に入った地元のサッカーチームでは、線も細くて、ボールを蹴ってもあまり遠くまで飛びませんでしたね。
身長は中学1年でぐっと伸びました。中学校では学校のサッカー部に入り、高校はサッカーが強く進学校でもある清水東を選びました。「サッカー選手になりたい」と思いつつ、そう簡単でないことも分かっていたので、大学進学も考えてのことです。親も大学に行ってほしいと思っていて、「清水東ならいいね」と言っていました。
実は、僕が受験する年から制度が変わり、遠方の清水東を志願できるようになったんです。清水東に進学したからサッカー協会の早生まれ選考につながった面がありますし、これもラッキーでした。
「U16」では、小学校のころから全国大会に出ている選手が多かったですね。当初は僕のことなんか誰も知らなかったはずですよ。中1の時は県大会の1回戦止まりで、中3では県大会にも出られませんでしたから。日本代表に選ばれて、良い仲間、良い指導者に出会えたことは本当にありがたいことだったと思います。海外遠征や練習から高校の部活に戻ると、「パススピードが速くなった」と言われましたし、高校のチームメートには今も「あのころからうまくなっていったよな」と言われます。
早生まれの子は、体格やパワーの面では不利になることが多いと思います。でも、小中学生のころはスキルを身につけるのに最適な時期です。足の運び方などの感覚を鍛え、基礎に時間を割いてほしい。体の大きさやパワーを頼りにやってきた選手は、高校ぐらいで頭打ちになる感があります。体格が追いついた時に差がつくのはスキルです。そこまで見越して、早生まれを気にせず頑張ってほしいですね。
多様なスポーツの経験も役立ちます。野球やソフトボールでボールの落下点に入って捕球する動きは、サッカーのヘディングにつながります。テニスの横移動の動きもサッカーに生かせる。いろいろな体の使い方をしておくことが大事なのではないでしょうか。僕自身、幼稚園のころにやっていたソフトボールや、子どものころに近くの山や川で友達と遊んだ経験が、今の体を作ってくれたと感じています。