ブラジルは「世界基準を意識していない」
ドイツやブラジルに「世界基準」って言葉はあるのか。彼らは日常がすでに世界のトップの基準だから、「レバルの高い自分基準」があるだけで「世界基準」とは言わないだろう。それに比べると、日本の日常はだいぶ低い基準にある。だから日常を変えないと、自分たちはそこに追いつかないんじゃないかということです。
(中略)
それくらいの高い基準でプレーできないと世界に通用しないのに、みんな特に深く意識せず、何となく日常を過ごしているという生き方をしているじゃないですか。もちろん、自分なりに一生懸命考えている子もいるんですが、結局、隣の仲間を見ながら、同じチームの幅のなかだけで「俺、結構がんばってるし」という感じでしかやってないと思うんです。見ていると、「まあ、俺はこのレベルで終わる感じかな」と自分の限界を自分で決めつけてしまう子もいます。
––––「この学校くらいならねらえるから受験しようかな」という偏差値教育的な考え方と同じ感じがします。
そのとおり、そうなるともうそれ以上は成長がない。この部分をもっと変えられると思うし、伸びていく人たちというのは、自分を変えようという意識がすごく強い人たちなんです。
(中略)
とにかくミスしちゃいけないという意識が強すぎるので、簡単にクリアできるゲームみたいなものしかやらない。難しいことに挑戦しないんです。
(中略)
簡単にクリアできないことこそ面白いんです。クリアできないから、「なんとかクリアしてやろう」って夢中になるわけじゃないですか。(中略)
「簡単にクリアできないから面白い」という感覚、失敗しても「もう1回やってみよう」という発想が子どもたちにはすごく大事です。
菊原 志郎(きくはら しろう)/広州富力足球倶楽部アカデミー育成責任者