“今”に打ち込める選手は、すべてを両立できる 〜集中とは目の前を選び続ける力〜

カテゴリ :
マツゾノ日記
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投稿者 :
松薗 智也

今週は、定期テストが終わったばかりの週でした。 
この時期の活動は、選手たちがさまざまなものと並行して生活していることをあらためて実感させられます。
学校のこと、家のこと、勉強、友だち関係、スマホ、ゲーム。

選手たちは、かつてよりも圧倒的に多くの選択肢と共に生活していて、サッカーだけやっていればいいという時代では、もうありません。
情報も誘惑も、すぐ隣にある。

やるべきことも、やりたいことも、両方ある。

そんな時代において「いま自分がすべきことを、ただ実行できる」

そのことが、どれだけ難しく、どれだけ力強いことか。
 
集中とは、他を断ち切ることではなく、今を選ぶこと。

何かを断つのではなく、何かを選ぶことが、これからの集中。
グラウンドにいるときは、サッカーを選ぶ。

プレーすべき時には、ただプレーする。

その“今”を、迷わず選び続けられるかどうか。
集中とは、才能ではなく習慣。

他を排除するのではなく、目の前の行動を自分の意思で選び取り続けることだと思っています。
 
勉強においても、似たことが言えます。

「量をこなすには時間が必要だ」と簡単に口にしますが、そもそもその量をこなすだけの集中力を、ちゃんと備えられているでしょうか。
なぜか勉強だけは、時間をかければかけるほど良いと思われがちです。

長い時間机に向かっていると、安心はします。周りも止めません。

しかし、本当に大事なのは、その中身です。
勉強だけ特別なわけがありません。もし時間をかければできるなら、なんて幸せでしょう。
間違えた問題や、わからなかった問題に出会ったとき、その場で立ち止まり、自分に問い直す時間を持てているか。
解説を読んでわかった気になっていないか。

放置されたままの問いは、何時間勉強しても前に進みません。
目的意識の薄い取り組みは、勉強だろうが、ただの散歩に過ぎない。

私はそう思っています。

選手がテスト後の解き直しを持ってくる時、なぜ間違えたかを1問ずつ説明してもらいます。
やりとりしていく中で、本人がどのような意識でテスト準備をし、テスト当日を迎えたかが滲み出てきます。
こちらから教える方がお互いにラクで、お互いに心地よい気がすることはわかっています。
ただ、お互いの今後のためにもならないことはもっとわかっています。
 
どこにいても、“今していること”に全力でいられる選手。

そういう選手は、学びの場でも、家庭でも、成長を続けられる。

結局のところ、両立できるかどうかは、時間の使い方ではなく、意志の向け方の問題です。

そのことを、今の選手たちは、無意識のうちに教えてくれている気がします。
 
“今”に打ち込める選手は、すべてを両立できる。

その力は、きっとサッカーを超えて、人生の選び方を変えていくはずです。

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