最後は人

カテゴリ :
監督の呟き
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投稿者 :
木藤 大輔

「座右の銘は何ですか」
プロフィール欄などに時々ある、私にとってとてもやっかいなこの質問ですが、強いて挙げるなら
最後は人』という言葉を10年間大事にしてきました。

私が強烈な影響を受けた恩師が、事あるごとに「最後は人だよ」と言っていました。
どういうことなのか意味がよく分からず、最初はただその台詞だけを頭に刻み込みました。
年月が経ち、やがてその言葉が何を意味するのかを理解できる瞬間に時々出合う事があります。
 
 
ところで話は変わりますが、
「なんで今の自分はこういう判断をしたのか」「なぜさっき自分はああいう行動を取ったのか」
と振り返ってみた事はありますか。
私の場合、自分を形成している行動・判断の基準は、今までに過ごしてきた『環境=人』でした。
環境とは、周りにどういう人がいるかという基準で判断すべきだというのが最近の私の持論です。
私が影響を受けたといえば、親、親戚、先生、コーチ、はたまた仲の良い同級生や先輩後輩・・・

例えば、私の指導方法は恩師のそれをそっくりそのまま真似るところからスタートしました。
本当に、そっくりそのままなのです。喋り方や癖まで何から何まで真似てました。本当です。
私は自分の指導に自信がありますが、「いやいや本当か、全然未熟だろ」と冷めた自分もいます。
そんな風にあれこれ考えている時に、自分のモデルである恩師を思い返しこう思うのです。
「素晴らしい、間違いない、原点がそこなのだから自分もきっと捨てたもんじゃない」と。

結局の所、自分のことは自分が一番よく分かっている様で、実はあまり良く分かっていない。
そんな時には自分の周りにいる人を見てみます。素晴らしい人に囲まれている事がすぐ分かり
「こういう仲間が周りにいるなんて、自分は本当にラッキーだ」と心から感謝します。
先週だったか、父に「こういう奴がいて、そいつがホント良い奴でさ」という話をした時に
『良い人間の周りには良い仲間が集まってくる』と話してくれました。
自分の評価はさておき、自分がどれだけ人に恵まれているかということぐらいは分かります。

人を創るのが人であり、そうであるならば何より環境が大事なのではないか。
アンチ学歴の私も遠い過去に少しは勉強したし、その結果として環境が決められてきました。
そして、自分ががんばったのと同じぐらいの、がんばれる奴が周りには集まってくるものです。

少年サッカー界は、やれ強い、やれ大会で○位だ、という物差しだけで善し悪しを判断しがちだ。
それ以外の判断基準を持っていないから、分かりやすい結果や数字で判断する人が非常に多い。
だけど、次のステージに立った瞬間にほぼ全てリセットされることを、私は何度も経験しました。
経歴や名前で勝負するのではない。サッカーは、技術と体力と人間性でプレーするものなのだ。

少年サッカーで少年の心に深く刻まれるものがあるとするなら、それは人との出逢い。
どんな指導者が教えているのか、どんな子が所属していてどんな雰囲気で活動しているのか。
人との出逢いが全てで、その他の事は小さなおまけに過ぎないという事を理解すべきである。
勿論、我々はサッカーの指導ではどこにも負けないし、またとことん上を目指していくのだが、
それは人を育てていく上での一つの過程に過ぎないし、目的ではない。あくまで目標だ。

熱いサッカーやりましょう。

Kido Daisuke

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