サッカーは、意思決定のゲームです。
誰が、どこで、何を、どのようにプレーするか。
その判断の積み重ねがゲームの流れをつくります。
だからこそ、「どうプレーするか」と「どう学んだか」は切り離せません。
アンビシオンのジュニアユースでは、毎試合の映像を専用ページで共有し、いつでも見返せる環境を整えています。
また、普段のトレーニングも撮影し、映像はリモートTRにも活用されています。
映像は、記録ではなく問いの出発点になります。
自分のプレーを見直しながら、判断の背景にあった思考を掘り下げる。
そこに、次の一歩へつながる学びがあります。
「なぜ、この場面でこのプレーを選んだのか」
「もし別の選択肢を取るなら、どんな意図があるのか」
選手たちは、言葉に詰まりながらも、自分の判断を言葉にしようとします。
言葉にできる判断は、仲間に渡せる判断になる。
伝えられる判断は、再現できる判断になる。
このプロセスが、個の判断をチームの判断へと育てていきます。
スキルそのものを細かく言葉にする必要はありません。
しかし、プレーの根拠を伝えられることは、共有と再現をする上で大きな意味を持ちます。
言語化とは、技術の説明ではなく、意思決定の可視化。学びの構造を持つ選手は、試合の構造も読めるようになります。
そして、チームとして戦う以上、個人の感覚だけでは足りません。同じ映像を見ながら、チームで補助線を引いていく。
「この試合を、どう捉えて臨むのか」
その視点を共有することは、仲間と同じ景色を描くことにもつながります。
言葉で振り返るから、次の一歩が自分のものになる。
考え続けるからこそ、いつか自然に選べるようになる。
“言語化された育成”とは、選手一人ひとりが自分の判断に責任を持ち、
プレーの意味を、自分の言葉で語れるようになるための土台づくり。
それが、「うまさ」の先にある「強さ」だと私は信じています。